初詣 清荒神
お久しぶりだ。
2019年一発目ということで、初詣に行った記事を書く。
どこに行ったかというと下図参照↓
そう、清荒神だ。
なんでも竈の神が祀られているらしい。(地元の人談)
正月気分を味わいに行っただけなので、こだわりなどはない。
まず、降り立ったのは、清荒神駅だ。
西日に照らされた駅に、感情を少し揺さぶられる。
まあ、ただのローカル駅だ。
この写真を撮る俺の背後には、図書館があり地元の人が通っていた。
そして、俺は前進していく。
寺に続く参道の入り口は、こんな感じで俺を出迎えてくれる。
なんでも、この入り口からおよそ1キロ歩けば、清荒神清澄寺があるらしい。
1月23日という遅めの参拝だったので、出店は少なかった。
途中、土や木に挨拶する。
そして、あたりを見渡しながらウォーキング。
お茶屋さんや、手相占い一回3000円や、佃煮などを売る店、うどん屋、出店、など様々な景色を楽しみながら、連綿と続く歴史の中に自分が存在するんだなと、再認識。
そうこうしているうちに、人間が生み出した形ある歴史的建造物、清荒神清澄寺が現れた。
立派ですね。
入り口付近にある看板曰く、二度焼失したが建て直され、今も続くらしい。
平安時代から、存在するってよ。
清めたり、
正月感、楽しんだり、拝んだりしていると、自然界という大きな循環を感じて生きる。というテーマが俺の頭に浮かんだのであった。
当たり前すぎて、認識するのも忘れてしまうが、植物や、動物、空気、水、宇宙とかに囲まれて人間も存在する。
今日食べた、食物も俺のエネルギーになってまた生きる。
だから、自分は自分だけで成り立ってないんだなーと思いながら参道を帰る。
その途中で、お茶屋で急須を買った。
これで、草の存在を感じながら、俺の生活や体を豊かにしていこう。