和歌山 驚異の大自然 導入篇
どうも。僕(隊長)です。
今回の探検の地はここです↓
二度目の和歌山紀南エリアです。
マップ上の青色のラインは、車で移動したルートを示しています。
今回の旅の同行者は毎度お馴染みのH氏です。
前回の和歌山での探検では、紀南エリアに到着した瞬間に腰を抜かすほど綺麗な星空、その空間にいるだけでエネルギーが充填されるほどの木々の緑、脳味噌の風通しが良くなるほどの快晴、眺めるだけで心が踊るくらい雄大な川など、大自然の美しさが印象深い探検でした。
しかし、今回は大自然の厳しさと、僕たち人間のちっぽけさを体感した探検となりました。
心なしか、口調も縮こまってしまっています。
では、旅の記録を始めます。
日時は、2020年7月22日の夜23時頃。僕たちはH氏の車に荷物を積んでいた。
七輪、ブルーシート、炭、着火剤、車で使えるミニ冷蔵庫、ステーキ肉、マンゴー、釣り道具一式、シュノーケル、水着、アコースティックギター、着替えを積み込んだ。
滞在は23、24日を予定していて、天気予報は二日とも曇りのち雨だったので、星空を写すための一眼レフカメラは持っていかなかった。
早速、僕たちは夜のハイウェイに乗って和歌山へと向かう。
仕事終わりの出発だったので、途中サービスエリアで休憩しつつロクでも無いコンビニ飯で夕飯をすます。
前回同様、早朝4時頃、紀南エリアに到着したが、雲に覆われた空に星々は姿を隠していた。
全く表情の違う景色に、同じ瞬間なんてこの世に存在していないんだと愛おしくなった。
2020年7月23日の和歌山の空は、僕たちにその瞬間、刹那の大切さを教えてくれた。
瞬間の愛おしさは、どうしても取りこぼしていくことによる切なさにもつながっているのかもしれないなとふっと思う。
頭では、何もわからないけれど全部を感じられる瞬間がある。
あ、全部わかる。そんな瞬間がある。確かめ合うと必ずこぼれ落ちてゆく全部という感覚。
歯痒いけど、何とかその瞬間の感覚を表現したくなる。
それに共鳴する人がいる。ただそれだけなんだと頭の中が凪になった。落ち着いた海。凪。
実際は、『あー、どうせ曇りやと思ったし一眼レフ持ってこんでよかった』と思いながら次の目的”釣り”をしに荒船海岸を目指す。朝食は、肉と魚だと意気込んだ。
朝日が登るその海岸で”初”磯釣りに挑戦した。
岩にぶつかる波が起こす白い泡の中に、ひたすらルアーを投げ込んだ。
七輪の準備は完了。黒い炭が白と赤色に変わっていた。
魚が釣れないので、牛肉を焼き始め”よく焼き”と”赤いところが無くなったくらい”の頃合いの肉に塩をかけて大きなトングで持ち上げ、噛り付いた。
めちゃくちゃうまい。そして焼きすぎるより、焼き過ぎないほうがうまい。
塩の偉大さ。半端ない。肉の旨味も引き出してくる。人間の発明がここにもあった。完全なる適材適所。肉も塩も人間も、自分ができることを見せつけ合って、一つの現象を立ち上げていた。
その喜びで、ギターをかき鳴らし空を見上げると、背の高い岩の上に鷹がポツンと孤高に風に吹かれていた。ピジョットかと思った。
そこでは魚は釣れなかったが、朝食には満足し海岸を後にする。
H氏は、まだ魚を釣れる場所を探していた。とりあえず車に乗り魚が釣れそうな場所に向かう。僕は助手席でいつの間にか寝ていた。
そして、奇岩が並ぶ海の前で起こされた。
この写真から分かるように、めちゃくちゃ晴れていた。
天気予報なんやねん。あてにならんな。と素直に思った。てかとりあえず目的地に向かうことが大切だなと。予報にビビって中止とかせんで良かった。何も考えず、思い立ったが吉日と勢いで動くことって必要だなと思っていた。
この時までは。。。まあ、不穏な感じを出しつつ。話を進める。
この奇岩立ち並ぶ、海は漁業組合か何かに管理されていて一般人の釣りは禁止されていた。
ルールは守らないといけないのでその辺を散歩し海を眺めつつ釣りができそうなところを探す。ザザーン。
結局その辺をテキトーに歩き回っても釣りスポットはなく、H氏はもう釣りの時間は終わりやと言った。まだ午前8時台だった。
そして僕のターンである。すごく晴れていてすごく暑かったので行水でもしに一枚岩キャンプ場にいくことを決める。シュノーケル持ってきたし。
眠いのにすいませんね〜と思いながらH氏の運転で到着。
圧巻の一枚岩。
川は、エメラルドグリーンで川底の石の表面のぬめりけも少なかった。
透明度も高い。
暑い外気温と、冷たい水のコラボレーション、最高。
シュノーケルを装着し、自由気ままに小魚達と泳いだ。
きーんもち良かった。
しばらく、泳いで満足し、H氏がGoogle マップで見つけた滝を目指すことに。
ここで一つ。H氏はよく目的地を名称で検索するのではなく、Google マップを広域で眺め、魅力的なスポットを見つけてくる。今から向かう滝も、その方法で見つけた、何の下調べも無い状態の目的地である。
全くの未知な道。
その道中があんなにも大変になることなど、この時は知るよしもなかった。
続く