三重県 宮川 透明な水の透明な冷たさ
どうも。俺です。
夏は活動的になって、秋口から死んだように生きる俺です。
なんかそういうリズムがあるなと。気づきました。
今も、ぼーっとしながら書いています。
ということで、今回の探検の地は、こちら。
三重県の奈良県よりに位置する渓谷。↓ 日付は2020年9月20日。
今回も同行者はH氏。
例の如く、googlemapを眺めて見つけた駐車場を目指して車を走らせた。
朝方、現地に着くと登山コースの入り口が近くにあるらしく、すでに二台ほど車が停まっており登山上級者っぽい男が、準備をしていた。
俺たちはいつも、現地で知る。
しかしその現地は、ネットを眺めて見つける。
その塩梅が、不思議だが自然だ。俺たちの自然。なーんも難しいことは考えず、自然とそうしている。自然は、ありのままということだ。ありのまま。そのまま。濁りがない。
無意識。無意識の色。透明。そう。今回の探検の地、宮川はそういう場所だったのだ。
透明。透明とは何か。俺たちが切り取った景色を眺めながら考えて欲しい。
おお。透明という概念に没入していた。
屈折もなく、そのままの光が跳ね返り、そのままの君が溶けている。
君は、意識もなく素直になっていなくなる。最後はいなくなる。
息を殺すでもなく、そこにいるのにいなくなる。
いつか、こんな文字を書かなくなって、伝えることもなくなって大気みたいに漂うだけ。
溶け合うだけ。
テキストは、輪郭線を描く。そう文字は、輪郭線。生き抜くためには理由が必要だ。
君の、ウデとかアシとか。それは文字である。テキストが君を浮き彫りにする。
テキスタイルからのテキスト。そこからのテクスチャー。肌質。
文章とは、緻密に織り上げられた文字の色彩。
それが、君の肌質になっていく。概念としての肌感。
君だけの言葉は、君だけの輪郭線であり、君だけの質感へと織りあがっていく。
その君だけの言葉の糸は、君が探検の地で見つけてくる。
金塊が目的で探検するとしよう。でもその目的までの道中の経験がそのまま君だけの宝で、幸せなのだ。幸せには、それぞれの質感があって、美しさがある。
それが、テキスト。
その緻密に織り上げられた君は、次第に周りの世界と同化し透明になっていく。
透明とは世界に馴染めた後の幸せなんだと今は思う。
濃い青のところは、けっこう深い。
シュノーケルを装着し、潜ってみた。
見えない冷たさが、体の芯まで染み込んでくる。
あの浸透してくる気持ち良さはなんだろか。
その時間は、大体決まって脳味噌のストッパーみたいなものが外れかけている。
たぶんそれが言葉なんだろう。
本当は、言葉はいらないのだろう。
ウデ、アシという言葉を忘れてなんだっけカラダ?いや、水が染み込んできた。
忘れた時に、冷たくなってアレ?./;@;3 &""""#!#%&'`+>M+<M>?*`
バグったと思うだろう?不安だろう?
意味がわからないことは、コワイ。
意味のない文字列はコワイ。
そう我に返って、水面から顔を出し、また日常へ返ってゆくのであった。