三重県 宮川 透明な水の透明な冷たさ
どうも。俺です。
夏は活動的になって、秋口から死んだように生きる俺です。
なんかそういうリズムがあるなと。気づきました。
今も、ぼーっとしながら書いています。
ということで、今回の探検の地は、こちら。
三重県の奈良県よりに位置する渓谷。↓ 日付は2020年9月20日。
今回も同行者はH氏。
例の如く、googlemapを眺めて見つけた駐車場を目指して車を走らせた。
朝方、現地に着くと登山コースの入り口が近くにあるらしく、すでに二台ほど車が停まっており登山上級者っぽい男が、準備をしていた。
俺たちはいつも、現地で知る。
しかしその現地は、ネットを眺めて見つける。
その塩梅が、不思議だが自然だ。俺たちの自然。なーんも難しいことは考えず、自然とそうしている。自然は、ありのままということだ。ありのまま。そのまま。濁りがない。
無意識。無意識の色。透明。そう。今回の探検の地、宮川はそういう場所だったのだ。
透明。透明とは何か。俺たちが切り取った景色を眺めながら考えて欲しい。
おお。透明という概念に没入していた。
屈折もなく、そのままの光が跳ね返り、そのままの君が溶けている。
君は、意識もなく素直になっていなくなる。最後はいなくなる。
息を殺すでもなく、そこにいるのにいなくなる。
いつか、こんな文字を書かなくなって、伝えることもなくなって大気みたいに漂うだけ。
溶け合うだけ。
テキストは、輪郭線を描く。そう文字は、輪郭線。生き抜くためには理由が必要だ。
君の、ウデとかアシとか。それは文字である。テキストが君を浮き彫りにする。
テキスタイルからのテキスト。そこからのテクスチャー。肌質。
文章とは、緻密に織り上げられた文字の色彩。
それが、君の肌質になっていく。概念としての肌感。
君だけの言葉は、君だけの輪郭線であり、君だけの質感へと織りあがっていく。
その君だけの言葉の糸は、君が探検の地で見つけてくる。
金塊が目的で探検するとしよう。でもその目的までの道中の経験がそのまま君だけの宝で、幸せなのだ。幸せには、それぞれの質感があって、美しさがある。
それが、テキスト。
その緻密に織り上げられた君は、次第に周りの世界と同化し透明になっていく。
透明とは世界に馴染めた後の幸せなんだと今は思う。
濃い青のところは、けっこう深い。
シュノーケルを装着し、潜ってみた。
見えない冷たさが、体の芯まで染み込んでくる。
あの浸透してくる気持ち良さはなんだろか。
その時間は、大体決まって脳味噌のストッパーみたいなものが外れかけている。
たぶんそれが言葉なんだろう。
本当は、言葉はいらないのだろう。
ウデ、アシという言葉を忘れてなんだっけカラダ?いや、水が染み込んできた。
忘れた時に、冷たくなってアレ?./;@;3 &""""#!#%&'`+>M+<M>?*`
バグったと思うだろう?不安だろう?
意味がわからないことは、コワイ。
意味のない文字列はコワイ。
そう我に返って、水面から顔を出し、また日常へ返ってゆくのであった。
奈良 柳生の里
どうも。俺です。
今回は、奈良県の北部、京都との境目あたりに位置する、柳生の里へ探検に向かった。
日付は、2019年10月10日。秋に突入する夏の儚さをしみじみ感じるころだった。
まず降り立った駅が「笠置駅」と言う駅ですごく自然豊かでキャンプ場もあるような場所だった。ちなみに笠置駅は、京都府になるらしい。
生き生きした生命ってこういうことなんや。と視覚的に教えてくれる。
ふてくされたり、退屈したりしてない緑達が誰の目も気にせずただ生きている。
笠置駅から、南下して柳生の里へと向かう。
緑豊かな田園風景が俺を俺自身を忘れさせていく。
本当の現実は大自然なのに、全てが溶け合う感覚に幻を見ているのではないかと錯覚させられる。人を人が管理するとか、自分が生き残るために誰かを陥れるとか心底どうでもいい。
お前自身が上がっていけよ。自然に尊敬されるようにな。てかもっと、生きろよ。と。
修造みたいな暑苦しい声が聞こえた気がした。
田園を抜け、山道へと景色は変わる。
俺と一緒の方向へ歩いていた黄金虫くん。
歩いていると、より小さな風景に出会うな。
虫の目で世界を見れたりしますね。想像やけど。
あらゆる景色に心を動かされながら歩いていると、柳生の里についていた。
宮本武蔵も訪れた、剣聖と呼ばれる達人たちがいた里である。
柳生石舟斎とか槍の宝蔵院とか。詳しくはないですが。
んで、この近くの一刀石と呼ばれる岩を見にいくことに。
なんだか荘厳な道を抜けると
天の石立神社とともに、柳生石舟斎が天狗と戦った時に切ったと言われる伝説の岩が現れた。
確かに真っ二つに切れてる感じ。
柳生家はこの森の中で修練に励んでいたとされているらしい。
自分と向き合う孤独な時間に練り上げられた強さを仲間たちと見せつけあっているうちに、歴史に残るまでの物語になったのだろう。
浮き足立った夏の日々を
ぎゅっと密に締め上げた
疎と密を繰り返す
年輪のようだね〜
残響音のように写真を並べて終わります。
和歌山 驚異の大自然
どうも。僕です。
前回の和歌山探検録の続きの記事です。
和歌山紀南エリアです。
ということで、一枚岩キャンプ場を後にし、向かうはGoogle マップで見つけた「大滝」というらしい滝。
大滝に向かって進むにつれてすごくローカルな、村の細い道になっていく。
左手に田んぼ、右手に山という感じ。
あぁ、この道で前から車が来たら嫌やな。と思っていると。
本当に、老夫婦が乗った車が近づいてきた。
H氏は、慣れない道でやむおえずバックで来た道を少し戻り、少し広くなっている家の前のスペースで前からくる車に道を譲った。
今思えば、この老夫婦の車とすれ違ったあたりから、道が険しくなってゆく。
あの狭い道での少しめんどくさい後退は、おっこと主からの警告だったのかもしれない。笑
ということで、ここから本格的なクネクネし細い山道に進路が変わってゆく。
「あぁ、嫌な道やな。」
「でも、もうしばらく進んでるし、戻る方がだるいやろ。」
「そやな。何も見ずして、来た道を帰るのは探検家がすることじゃ無い。」
「ジャーナリストやん。」
「ん?なんかアスファルトの道じゃなくなってないか?」
「確かに。たまにアスファルトが途切れてるよな。でも、あと少しで大滝やで。」
「てか、車停められる場所あるやん。」
「大滝のための停車場所やな。停めよう。」
てな感じで、少し来た道を帰りたくなるような細く荒いアスファルトの道が続いたが、無事に到着し車を降りる。
そして大滝へと続く茂みの入り口から、山の斜面を下っていく。
少しの道のりだが、険しい斜面にはロープが垂らされていたりしていたので絶景スポットとして訪れる人が多くいることが伺えられた。
そして、なーんも期待せず調べもせずたどり着いた大滝がこちらです↓
いや、パンフレット見たいな写真撮れた。(加工してます。)
滝の落差はそれほど無いが、美しい色の滝壺と緑に囲まれた様が神々しかった。
浅いところの水も透明感がすごくて、見ているだけで目が癒されました。
あぁ、戻らなくて良かったと。
まるで、飛び込み営業かのように突撃したけど、こんな成果をあげられるなんて。
また、探検ファイルの1ページに絶景を納められて良かったです。俺に孫ができたら見せたろ思いました。このブログ。
しばらく、写真を撮ってマイナスイオン吸い込んで大滝を後にすることに。
言うまでもなく、来た道は戻らない精神で、山道を海に向かって下りていくことにした。
しばらく走っていると「大鎌八幡神社」という(冒頭で載せているマップの一番左のスターマークの所)神社あたりで、左折するか直進するか選択を迫られた。
とりあえず一刻も早く大きい道に出たいので、海に近づく方向、つまり左折することを僕たちは選択した。
「結構、昨日の夜から朝にかけて移動したな〜。てかまだ12時やん。」
「せやなー。とりあえず下山したら昼飯食べるか。」
「休憩やな。」
「ちょっと待って、またアスファルト無いやん。未舗装やん。」
「また、たまに途切れてるだけやろ。」
「前に進むしか無いから。ジャーナリストは笑」
みたいな会話をしながら進んでいると、本格的に未舗装で乾いた砂にゴロゴロと大きな石や岩が割れたものが増えてくる。
右手には、今にも崩れそうな斜面。左手には、滑り落ちていきそうな崖。そして前方には未舗装な狭い一本道。
「これやばいわ。隊長、降りて重量減らすのと、進路に落ちてる石たちをできるだけどけてくれへん?」とH氏。
「確かに、二人乗ってたら車が沈んで、普通に石に擦れそうやな。わかった降りてジョギングしながら石どけていくわ。」
外は、カンカン照りの真夏の太陽である。
でも、こんなほっそい山道で車を故障させるわけにはいかないので、汗だくになりながら走り、大きな石を崖の方にぶん投げていく。
ピンチだが、何だか途中からいい運動かもなと能天気なことを考えていた。
このジョギングの後ろを車が追ってくるということをおそらく数㎞程、続けた。
その道中、時には、道を横切る砂の溝がありタイヤをとられたり、普通に通れると判断した道も凸凹な道なので石に車の底を擦ってしまったりを繰り返し、やっと念願のアスファルトが見えてきた。そのタイミングで隊長である僕は、車のケツを押しながら進んでいた。
この緊迫した状況も後少しで終わると何気なく地面を見た時、車の通ってきた道に微量の液体がポツポツとこぼれ地面を濡らしていることに気付いた。
本当に微量だったので、車内は冷房をつけてるからその水が滴っているんかな?くらいに思い、車に飛び乗った。もう前方はアスファルトの道だった。
「あぁ、アスファルトのありがたさを感じるな。」
「人間の手つかずの自然をハントすることをテーマにしてたけど、人間の作り上げた車もアスファルトもあってこその探検やったんやな。」
「せやな。揺れ動く考えとかをもたらしてくれる探検はやっぱりなんだかんだ必要やな。」
う”ーーーーーーーーん。ブオーーーーーん。
「え?進まんねんけど。。。。」
「やばいな。。。。。。」
ブオーーーーーン。ヴおーーーーーん。
「とりあえず、ガソリンスタンドでチェックしよかガソリンないし。」
そして、ガソリンスタンドで停車し車を降りるとすでに車の下には赤オレンジという感じの液体がドポドポ漏れ出ている。
「これは、車の底にあるオイルパンが石に衝突して穴開いて液体が漏れ出てるな。」とH氏。
「ということは?」
「液体がなくなるにつれて、タイヤに力が伝わらなくなっていずれ動かんくなる。」
「やばいやん。」
「とりあえずガソリンスタンドにおったら邪魔やから、あそこの道の駅の駐車場行こう。」
そう。なんと下山したところにたまたま道の駅「すさみ」があったのだ。
アクセルベタ踏みで、やっと少し進むといった状態になった車でなんとか道の駅にたどり着き、すぐレッカー車の手配をする羽目に。
本当にギリギリの最後の力を振り絞って、道の駅までつれて行ってくれたキューブくん。
ありがとう。
この体験を振り返ると様々な考えが頭に浮かんできた。
まず、人間の作ったものの強さと弱さについて。
人間は、自然の厳しさに立ち向かうために鉄を加工することを発明し、武器や移動手段である車などを作り出した。
それに合わせて地球の表面をアスファルトで覆い走行を可能にし、定期的にアスファルトや車をメンテナンスすることでそれを維持している。
人間の力を超える機械を作り出し、体ひとつでは実現できない物事をどんどん成し遂げていっっている。
そんな人間の体一つでは到底敵わない力を備えた機械であっても、荒れ果てた道で少しの石っころに衝突しただけで、動かなくなる弱さもある。
便利を人間達が購入し、社会全体でそれを実験し、不都合があれば改善する。
その繰り返しが、文明をどんどん発達させるし、その維持が仕事を作る。
金持ちが、最先端の便利を享受し、そのお下がりが庶民へと少し遅れて渡される。
しかし、その最先端の便利を生み出す奴は、金なんて興味のないマイウェイゴーゴー人間だったりする。
そんな循環が人間の間にはある。人間の生み出す人工物は、自然とは真逆のものとして認識されるが、そんな人工物を生み出す人間社会全体を俯瞰で見ると、森が驚異の適材適所を見せ運営されているような自然に近い循環があるような気もしてくる。
苦しみも喜びも、孤独も団欒も全ての事象が人一人を救ったり傷つけたりする。
希望はないような今があったとしても、その経験が自分と誰かを繋ぎ、絶望の深さの分の喜びが返ってくるかもしれない。
そんなことを考え、今できること、やりたいことをやり続けるのみであろう。
その行動ひとつひとつが実験となり、全ての人が笑顔になる日が訪れるかもしれまへん。
二つ目の学びは、サバイバルとは何かと言うこと。
この経験を振り返ると、ピンチに陥った時にその時思い描ける最善の策を諦めずに実行したことがギリギリ助かった要因であると考えることができる。
石っころの道を、より早く安全に抜けるために一人下車し、丁寧に障害物をどかす手間を惜しむことなく繰り返した。どこまでオフロードが続くか分からないのにだ。
今見えている範囲だけを素材として未来に向かって一歩ずつ行動することによって、次の一手が自ずと見えてくる。
サバイバルとは、今を凝視し、思考し、策を生み出すことなのである。
その経験が、未来のサバイバルを切り抜ける素材として蓄積されていく。
自分の肉体的技術や思考として。
どんなに境地でも決して諦めずピンチを楽しみアドレナリンドバドバで生きていきましょう。
どうせ人生は暇つぶしなのだから。
和歌山 驚異の大自然 導入篇
どうも。僕(隊長)です。
今回の探検の地はここです↓
二度目の和歌山紀南エリアです。
マップ上の青色のラインは、車で移動したルートを示しています。
今回の旅の同行者は毎度お馴染みのH氏です。
前回の和歌山での探検では、紀南エリアに到着した瞬間に腰を抜かすほど綺麗な星空、その空間にいるだけでエネルギーが充填されるほどの木々の緑、脳味噌の風通しが良くなるほどの快晴、眺めるだけで心が踊るくらい雄大な川など、大自然の美しさが印象深い探検でした。
しかし、今回は大自然の厳しさと、僕たち人間のちっぽけさを体感した探検となりました。
心なしか、口調も縮こまってしまっています。
では、旅の記録を始めます。
日時は、2020年7月22日の夜23時頃。僕たちはH氏の車に荷物を積んでいた。
七輪、ブルーシート、炭、着火剤、車で使えるミニ冷蔵庫、ステーキ肉、マンゴー、釣り道具一式、シュノーケル、水着、アコースティックギター、着替えを積み込んだ。
滞在は23、24日を予定していて、天気予報は二日とも曇りのち雨だったので、星空を写すための一眼レフカメラは持っていかなかった。
早速、僕たちは夜のハイウェイに乗って和歌山へと向かう。
仕事終わりの出発だったので、途中サービスエリアで休憩しつつロクでも無いコンビニ飯で夕飯をすます。
前回同様、早朝4時頃、紀南エリアに到着したが、雲に覆われた空に星々は姿を隠していた。
全く表情の違う景色に、同じ瞬間なんてこの世に存在していないんだと愛おしくなった。
2020年7月23日の和歌山の空は、僕たちにその瞬間、刹那の大切さを教えてくれた。
瞬間の愛おしさは、どうしても取りこぼしていくことによる切なさにもつながっているのかもしれないなとふっと思う。
頭では、何もわからないけれど全部を感じられる瞬間がある。
あ、全部わかる。そんな瞬間がある。確かめ合うと必ずこぼれ落ちてゆく全部という感覚。
歯痒いけど、何とかその瞬間の感覚を表現したくなる。
それに共鳴する人がいる。ただそれだけなんだと頭の中が凪になった。落ち着いた海。凪。
実際は、『あー、どうせ曇りやと思ったし一眼レフ持ってこんでよかった』と思いながら次の目的”釣り”をしに荒船海岸を目指す。朝食は、肉と魚だと意気込んだ。
朝日が登るその海岸で”初”磯釣りに挑戦した。
岩にぶつかる波が起こす白い泡の中に、ひたすらルアーを投げ込んだ。
七輪の準備は完了。黒い炭が白と赤色に変わっていた。
魚が釣れないので、牛肉を焼き始め”よく焼き”と”赤いところが無くなったくらい”の頃合いの肉に塩をかけて大きなトングで持ち上げ、噛り付いた。
めちゃくちゃうまい。そして焼きすぎるより、焼き過ぎないほうがうまい。
塩の偉大さ。半端ない。肉の旨味も引き出してくる。人間の発明がここにもあった。完全なる適材適所。肉も塩も人間も、自分ができることを見せつけ合って、一つの現象を立ち上げていた。
その喜びで、ギターをかき鳴らし空を見上げると、背の高い岩の上に鷹がポツンと孤高に風に吹かれていた。ピジョットかと思った。
そこでは魚は釣れなかったが、朝食には満足し海岸を後にする。
H氏は、まだ魚を釣れる場所を探していた。とりあえず車に乗り魚が釣れそうな場所に向かう。僕は助手席でいつの間にか寝ていた。
そして、奇岩が並ぶ海の前で起こされた。
この写真から分かるように、めちゃくちゃ晴れていた。
天気予報なんやねん。あてにならんな。と素直に思った。てかとりあえず目的地に向かうことが大切だなと。予報にビビって中止とかせんで良かった。何も考えず、思い立ったが吉日と勢いで動くことって必要だなと思っていた。
この時までは。。。まあ、不穏な感じを出しつつ。話を進める。
この奇岩立ち並ぶ、海は漁業組合か何かに管理されていて一般人の釣りは禁止されていた。
ルールは守らないといけないのでその辺を散歩し海を眺めつつ釣りができそうなところを探す。ザザーン。
結局その辺をテキトーに歩き回っても釣りスポットはなく、H氏はもう釣りの時間は終わりやと言った。まだ午前8時台だった。
そして僕のターンである。すごく晴れていてすごく暑かったので行水でもしに一枚岩キャンプ場にいくことを決める。シュノーケル持ってきたし。
眠いのにすいませんね〜と思いながらH氏の運転で到着。
圧巻の一枚岩。
川は、エメラルドグリーンで川底の石の表面のぬめりけも少なかった。
透明度も高い。
暑い外気温と、冷たい水のコラボレーション、最高。
シュノーケルを装着し、自由気ままに小魚達と泳いだ。
きーんもち良かった。
しばらく、泳いで満足し、H氏がGoogle マップで見つけた滝を目指すことに。
ここで一つ。H氏はよく目的地を名称で検索するのではなく、Google マップを広域で眺め、魅力的なスポットを見つけてくる。今から向かう滝も、その方法で見つけた、何の下調べも無い状態の目的地である。
全くの未知な道。
その道中があんなにも大変になることなど、この時は知るよしもなかった。
続く
青い海
どうも。俺だ。
今回の探検の地は、なんと沖縄だ。
沖縄といえば、うみである。
この探検録、初の海の記録ではなかっただろうか。記憶できないほど多くの記事を書いているわけではないが。
とりあえず、いつものごとく場所の確認だ。探検に訪れた地の記録が積み重なって増えていくことに喜びを感じている。
沖縄の〜
中部あたりだ。
ちなみに空港がある那覇は、南部に位置している。
二泊三日の旅である。1日目は、那覇あたりで食べ物や焼き物を見たりしていた。
二日目にリゾートホテルにチェックインし、海を楽しんだ。
なので、今回は主に二日目の朝〜三日目の朝までの記録である。
たった24時間の大自然との触れ合いだった。
でも、いつもなんどでも新鮮な気持ちで対峙することになる不思議な力がある。
その中でも、自分の故郷のような風景に出会うために俺たちは探検しているのだ。
特別な場所は、全体に溶け合った時に初めて認識する。
今書いていて思ったが、「体、全部」で全体。全カラダで全体になる。
あえて言葉にすると、ミクロとマクロを行ったり来たりするような感覚だろうか。
行ったり来たり。それが海でもある。寄せては返す。寄っては帰る。
水に浮かび、ゆらゆらゆりかごのようにゆれている時、体の弛緩のしかたを教わっているように思う。うんともすんとも言わない海の上だからこそカラダ全体を無条件で預けられる。
そして、半分浸かった耳にあの頃の羊水の音が聞こえてくる。
意識のなかった時代。ただのDNAだった時代。大自然のルールだけがある時代。
ミクロかマクロかわからない、900万年前か現代の存在なのかどうかもわからないあの頃から
すごい速度で、狩猟採取民・農耕民へとぶっ飛び、土木・建設からの第三次産業民時代へと時代を駆け上がる。俺たちはみんな羊水の中でぐるぐる進化し、今この成人と言う状態では考えられない速度で変化したあとの安定期なのだ。
全く持って覚えていないが、俺たちはみんなおたまじゃくしだったのである。
そんな感覚が水との触れ合いで呼び起こされた。
脳味噌すっからかんにして、海やプールに浮かび続けた日となった。
夜は泡盛を飲み、すぐ就寝。
そして翌朝4時半ごろ起床し、東っかわの海岸へ車を飛ばす。
朝日を見るためだ。
引き潮でめちゃくちゃ遠浅になった海が暗闇を映し込み、宇宙への入り口かのようだった。
徐々に登ってくる朝日。
新しい朝が、またやってきた。いつもなんどでも淡々と朝はやってくる。
よせては返す波や、淡々と登っては沈んでいく太陽を見つめて俺たちの始まりや終わりについて思いを馳せた。
和歌山 part.2
どうもです。
俺です。
今回も、和歌山の旅二日目をお送りします。
二日目は、荒船の海から熊野古道を探検した。
この日は、晴れ。
その下には、瑞々しくつやつやの緑が日光をこれでもかと吸収していた。
光合成をしている葉っぱ達が俺たちの吐き出す二酸化炭素を吸い込んで、
お返しに酸素で満たしてくれている。
何だか、無意識に助け合っている関係性に気付き、頭の中に気持ちいい風が吹いた。
もう普通の生活を営む上では餓死しなくなった事だし、好きに生きようぜ。って思った。
碧青とした、木々達を見ていると凄まじいエネルギーを感じるがちゃんと抑制もされていて、静かな爆発がそこかしこで起こっていた。
騒がしいのに、心は深く落ち着いている。
そして、熊野古道へと足を踏み入れる。
今回は、大門坂〜那智の滝へと続くコースを歩くことに。
自然が活き活きとしているだけでホーリーな感情が呼び起こされる。
人間って何かを記憶しているのかもしれないですね。
結局、お金持ちになればバカンスに行くし。
お金を稼ぐために整えた人工物の中で、お金を効率よく稼ぎ、お金を稼いだら人工物から離れ自然へと向かう。
やっぱ忘れられない何かがあるんだろうな。
話を熊野古道に戻す。
この道程は、プチ登山みたいな感覚なので適度な疲労感と「那智の滝」という目的があってワクワクするので楽しいし汗もかけるのでいろんな意味でデトックスできるいいコースでした。
そういえば、この道をのぼりながら「浄化されるわー」って言っていたのを思い出しました。
深い森の湿気た静寂や、その木々たちが途切れた間から溢れ出す青空や、目が眩むような光の洪水などいろんな神聖さが脳味噌をスゥーーーーーーーーふぁーーーん*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*って通り抜けて行って目をひん剥いたら現れました。
山っていいですね。
そんで、来た道を戻り、滝汗をかいたので銭湯に。
適度な運動をして思い切り汗をかき、筋肉が喜んでいる時に入る銭湯ってなぜあんなに気持ちいいのでしょうか。やっぱ重力から少し解き放たれて、フワフワ浮かぶ感じとか視界も湯気で曖昧になって、空を見上げたらお天道様が、俺の目ん玉に突き刺さってきて、脳味噌、清涼感で溢れますよね。
この感覚を追い求めて生きてると言っても過言じゃありません。
全ての道は脳まで通ず。ですね。あ、ローマですよね有名なことわざは。
でも、俺は言いたい。
「全ての道は脳まで通ず!!!!!!」
これをお前らのちっさい脳味噌に叩き込んで今回は終わります。
なんか、文体がチグハグでしたね。
最後に、8月の青空を皆さんの脳味噌にブッ刺します。またな。
あ、そーいえば、風呂上りにマグロ丼食べました。
最高でした。料理も脳味噌に刺激くれますよね。
いろんな刺激にやられて。ぼーっとした状態でマグロ丼食べたみせの名前良かったですよ。
ねぼけ堂。ひらがなのゆるさもいいですね。
涅槃ですね。
和歌山の星
今回の探検の地はここ↓↓
同行者は、H氏で車はH氏のものだった。
赤い楕円で囲んであるあたりを車でうろうろした。
熊野古道にも行ったので、もう少し広い範囲かもしれない。
なぜ記憶が曖昧かというと、去年(2019年)の夏に訪れたからだ。
正確な日付は、2019年8月11日だ。
こんなに、曖昧な記憶で探検録を書き進めていって大丈夫か?と思うだろう。
正確な場所や、日付など覚えていないが脳味噌に焼き付いて離れないものがある。
それは、深夜2時ごろに降り立った、和歌山の海辺で見あげた空に浮かぶ星だ。
本当に綺麗だった。脳味噌にこびり付くその映像を順を追って回想しよう。
その日は偶然、雲もない快晴の空だった。
まず、車を海岸付近に何気なく止める。
街灯や街の明かりなどほとんどなく、夜の闇が景色を覆っていた。
静かな海岸線、打ち寄せる波の音だけが聞こえている。
なぜ車を停めたかというと、海が見えたからだ。
「ちょっと、休憩するか。」と、車のドアを開け澄み切った空気の中、何の気なしに伸びをし空を見上げる。
、、、、ん?えーーーーーーーーーーーー!!!やばい。嘘やろ。怖い怖い。と言葉にならない語彙力なしの感情が喉を震わせ噴出した。
俺は、一つ一つが強く輝く星々の中に立っていた。
この日本の和歌山県から見える星全てが、何億光年の距離を感じさせない身近さで俺たちを取り囲んでいた。
本物の自然に対峙した時、過剰すぎて逆に作り物っぽいという反転した感情が生まれるんだなと思った。
都市の電灯による灯りが、俺たちの生活に近すぎてその後ろにある星の光がこんなにも見えずらくなっているんだな。
星は思えば、過去の光。
その星が今、存在していないとしても光は俺たちの今に存在する。
星との距離が遠いからこそ、地球にいる俺たちが綺麗だなと眺めることができる。
例えば、無口な職人がいるとする。
その職人が自分の追い求める美しさを表現した作品を生み出す。
現代の俺たちには、その作品が奇妙なものに映るかもしれない。
でも、物として残されたその職人の内面の星が何百年後の人に美しいと眺められるかもしれない。
無口な職人は、いわゆる"会話する"というコミュニケーションではなく、言葉にできない方法で、いやむしろ内面から溢れ出る言葉の濁流に溺れかけながら日々を生きているのかもしれない。
考えていることにぴったりと当てはまる言葉は、あれでも無いこれでも無いと考えているうちに目の前の時間が過ぎていくというように。
ヒトそれぞれに、時間感覚が違う。
時計による時間が一般的なので、みな平等に時間が流れていると思ってしまう。
しかし、わかりやすいところで言えばヒトそれぞれで寿命が違う。
体年齢なるものがあるが、歳をとっても若い人がいる。
つまり、残された時間も違うし長い時間生きても若い人もいる。
あなたの10年は、俺にとっての1日だということもあるかもしれない。
太陽が昇って、沈むのが1日なら白夜が続く南極ならしばらく1日が終わらない。
地球の自転の一周は明確な一日を示す。
もし地球が回っていなければ、どのような時間が流れていたのだろう。
と様々な、不思議が俺を混乱させる。
そういえば、最近1日がずっと続いているような感覚に襲われたことがある。
俺の1時間が、君の3日に相当するような感覚。
全ての出来事について不思議に思う人物と、当たり前だと言われていることはそのまま受け入れる人物との時間の流れも違うだろう。
その一つ一つ理解するという行為を繰り返していくうちに、全ての現象の理解が繋がっていき、原子力発電のように凄まじいスピード、凄まじいエネルギーに変換されることもあろう。時間が停滞している時期を超えて、凄まじい加速で流れ出す時間。
時間とは、何なのだろう。
秒針は見える。でも時間は見えない。
時間が流れるというが、どこに流れているのか。
事が起こって、思い出になって、その間に時間があったことに気づくのか。
何かを思いついて、計画を立てて、それをカタチにしていく事で時間を感じるのか。
作品ってのは、時間なのか。
このブログを書いた1時間が俺の1時間のカタチとして、具現化されている。
貯金ってわかりやすいが、貯時間というものもあるだろう。
俺の1時間をブログというカタチに残し、それが溜まっていく。
相対的に、時間を貯蓄しているのではなかろうか。
作業を消費するのではなく、貯めていく。
社会から、提示されたモノやコトを消費するだけでは虚しい。
その虚しさに抗うためだけに、少しの傷跡を残すようにブログを綴る。
本来、何の意味もない自己満足かもしれない。
でも、虚しさに溺れないようにただ消費するだけの生活から脱却するために
生きねば。