2020年 奈良にて
どうも、お久しぶりだ。
俺です。
今回の探検の舞台は、ここ↓↓
奈良県に位置する、山に囲まれた、山だ。
とにかく山がいっぱいある地帯だ。
同行者は、毎度お馴染みのH氏。
今回は、レンタカーを借りていくことに。
軽自動車だったので、24時間借りて8000円とちょっとだった。
ちなみに、入れる保険の選択肢は3つあったのだが、そのうちの2つに入った。
先に言っておくと、その他ガソリン代(2240円)や高速代(片道2020円)だった。
すごく現実的なお金の話をしてしまった。
でも、記録として役立つので記した。
探検の話に戻る。
とりあえず腹ごしらえをした後、22時半頃出発。
空には、大きな満月のお月様が嘘みたいに浮かんでいた。
それゆえに、比較的明るい夜だった。
レンタカーをミーのカーかのように乗り回す。
3連休1日目の夜だったが空いていた。ズンズン進む。
深夜1時くらいに、Mapの山の近くの川に到着。
とりあえず寒すぎたので、焚き火で暖をとることに。
火を焚くと、少しばかり安心になった。
煙が目に染みる。
暖かさと、優しく紅い明かりが俺たちを包んだ。
月明かりや、ゆらゆら揺れる炎、川のせせらぎの音。
自然ってのは、シンプルだしそれぞれが力強いのに調和している。
複雑なのに、単純というか何も気にならない。俺たちに、そうあることが当たり前というつまらない思考を想起させるよりも早く、考えるのをやめさせる。
心地よさが体にすっと入ってくる。
今思う。俺たちはなぜただただ山に向かうのか。
たぶん、日常生活のなかに"一切無い"からだ。
どこに行ってもコンクリートで、どこに行っても建前で、どこに行っても不自由だからだ。
本当は"無い"ものがあるように見せられて、心の奥の奥にある"確実にあるもの"が無いことにされているからだ。
その絶対あるものを忘れないように、体全体で確かめるために山へ向かうのだろう。
そんなに無理をして何になる?なろうとしているものは本当にあるのか?
おぬしらは、文句が多すぎる。
関わらなくていいことに関わらなければならない仕組みに巻き込まれているんじゃあないか?
そんなくだらぬもの見ずに、おぬしの思ったことをおぬしの言葉で喋るのじゃ。
すると世界が積み上がってゆく。3Dプリンターのようにじゃ。微分じゃよ微分。
確かめることが大切じゃ。おぬしの手で、耳で、目で。
大それたことはせんで良い。おぬしの周りにぷかぷか浮かんどるわ。
それを、手探りでも耳探りでもええからカタチにしていくことじゃ。
それがおぬしの自然で、いるべき場所になっているじゃろう。ほっほっほっ
って言われているようだった。
※写真を上げようとしましたが、データが重いのか読み込みませんでした。
ちかくの公園
今回は、GoogleMapには載っていない、ちかくの公園に探検に行った。
場所は想像にお任せする。
そう。君の頭の中にある、その場所で間違いはない。
よろしく。
日付だけは覚えている。4月21日の夜の底。
俺たちはちかくの公園にいた。
その公園は、木々が生い茂っている。
空中をお魚さんが泳いでいる。
固そうな岩の破片が落ちていると思い、手に取るとそれは牡蠣だった。
何を言っているかわからないって?
そンなミスマッチな現実が本当にそこにはあったんだ。
とりあえず、低空飛行している魚を捕まえて食べることにした。
手を伸ばす。川の水の中に手を突っ込んで手探りで泳ぐ魚を捉えるように、空中の気配に向かって手を伸ばす。
よりリアルに想像すると、本物により近い魚が手の中にあった。
川の水で袖口が濡れていることも想像した。
生で食べるのは危険なので、袖口を乾かすことも念頭に置いて焚き火をすることに。
公園に落ちている乾いた木をかき集め、いつも持っているライターで火を灯す。
木々たちは燃え、真っ赤な色に染まり、木々の中にわずかに残っていた水分が水蒸気となってモワモワ漂っている。
そんな気がした。
丈夫そうな気の枝の先をナイフで丁寧に研ぎ、串を作る。
魚の口からそれをぶっ刺す。
焼く。
想像通りの光景が目の前に広がる。
しかし、初めて体験したことでもあった。
魚が水面から体をひねって飛び上がっているようにも見える。
確かに目で見ていたその光景を頼りに、今、想像の中で文章にしている。
記憶とはそういうものなのかもしれない。
体で知覚した感覚を原材料に、思い出す行為。
それをどう解釈するかで思い出が変わる。
感情が呼び起こされる。
全てが解釈になっていく。
幸福も不幸も、その人間の解釈次第だ。
このちかくの公園も、君の知覚したことがある公園に置き換えられる。
知覚の公園に変わる。
人それぞれ、知覚している世界がある。解釈している世界がある。
同じように見ているつもりが、全く違う解釈の中に存在する。
俺たちは、生まれた瞬間から分かり合うために言葉に意味を託し接し合う。その意味は、光や音、その他諸々の体感と関連づけられていく。
硬い。という記号と語感は、手で触れたカタイとマッチしていく。
それが当たり前かのように、硬くなっていく。
硬い。うん。硬い。見た目も硬そうに見えてくる。
カタイって音も硬そうだ。なんだか角ばっててぶつけると痛そうだ。
そんなことを思っていると、さっきの牡蠣が脳内によりリアルに現れる。
とともに、手に持っていた。
もう君の想像にお任せする。写真はない。
腹も満たされ、キャンプ感も味わい満足した。基地に戻ることに。
今更だが、同行者はH氏。
春のせいか気の触れた記事になったかもしれない。
なぜこうなったか。
H氏が、春の悪魔に左腕を引っ張られたからである。
彼は、生きている。しかし死にかけた。
俺が見たとき、彼はうずくまっていた。左腕を抑えながら。
その肘から流れ出るは血。
その瞬間の記憶はないという。知覚したのに思い出せないらしい。
そんな思い出もあるらしい。
しかし、その体感は左腕から流れる血にしっかり刻まれているだろう。
痛いという感覚とともに。
幸か不幸か、彼は新たな知覚世界のドアをノックした。
こじ開けた。放り投げられたとも言える。
それが彼独自の言葉になり、人生になる。考え方も変わっただろう。
数秒後に何が起こるかわからない。改めてそう感じた今回の冒険。
この世に生きる人間が偶然に遭遇し、秒単位でジャストミートする。
インターネットを眺めているだけで冒険したつもりになっているそこのキミ。
新たな世界のドアをノックしに冒険に出発しよう。
今を味わえるのは、その体を持った君だけだ。
言葉にされているものだけが世界じゃない。
言葉から、意味から、零れ落ちていく知覚をかき集めよう。
それがキラキラ光る宝物になるかもね〜
別に自由だけどね〜
宮島
今回の探検の地はこちら。
そう。宮島だ。
関西自然探検録と言いながら、関西を出てしまった。
設定はあってないようなもの。なんでも、突き詰めれば正解なんて無いように。
ということで、大体朝8時くらいの新幹線に乗り、広島駅に10時に到着。
とりあえず、原爆ドームを訪れることにする。
一礼。
穏やかな今日からは、想像することは難しいが、確かに起こした忘れてはならない人間の過ち。何度でも思い出すために残された、地球規模の傷。
また、来ようと思った。忘れないように。
そして、電車に乗り込み向かう。宮島フェリー乗り場に。
到着。
すごい、いい天気ですね。
船に乗ります。
久々に見た海。
船が海水の上を滑るように進んでゆく。
頭上からは、太陽光のシャワー。
白く泡立つ水たちが、煌めく。
その反射光で、ぼやけた視界が起きて見る夢、白昼夢。
どうも、デイ ドリーム ビリーバーです。
あっという間に、宮島に到着。
とりあえず、海のミルクこと牡蠣を食べる。
牡蠣って二億九千五百万年前から存在してるらしいですよ。
思いを馳せるどころじゃないですね。
美味しかったです。
ありがとうございました。
その後は、気ままに宮島を散歩。
少し肌寒いけど、春の訪れを感じた。
地球の自転のように、ぐるぐる宮島を歩き回っているうちに
徐々に潮が満ちていく。
俺が立っている地球の面が、月に近づく。
月の引力が海水を生き物のように運動させる。
ずっとずっと、それこそ二億九千五百万年以上前からこの運動を続けているのだろう。
寄せては返し、満ちては、引いてゆく。
この地球は宇宙に浮いていて、絶妙なバランスで他の惑星と引っ張りあっている。
存在自体が、偶然であり、ミラクルでもある。
そんな地球の上に生きている生物たち。
家の中で一人でいたって、地球は今日も回っている。
何も起こっていないようでいて、すごい速度で回っている。
ぐるぐるぐるぐる回っている。
我々人間も体の中身は常に変化している。
何もやる気がない日だって、ウダツが上がらないと思っている生活の中でだって
すごい変化を繰り返し、ぐるぐる回る。
たかが歴史の一瞬である、現代の空気感は発展途上の一つの到達点でしかない。
時代が違えば、常識や価値観は違う。
もっと、ぐるぐる回る自分の変化にフォーカスし、自分なりの毎日を築き上げていきたいなと思いました。
過去の気持ちはもう存在しない。
耳をすまして、目を凝らして、今を味わい自分なりの表現をぶつけ合いましょう。
君の中にしかない、黄金の回転運動を繰り返しながら。
ポンポン山
今回の冒険の地はここだ。
高槻にある。ポンポン山です。
4時51分突如、目覚めるオレ
冒険の支度をし、5時38分、基地を出る。
外はまだ暗い。
夜を通り抜けた街が、浄化され、喧騒が消えている。月がまだ優しくおれを照らしている
まだ寝ぼけているせいか、瞼の裏側の景色のようないつもとは違った風景の中、歩いて駅まで。電車に乗る。
ガタゴトゴーな感じで、6時12分JR高槻駅に到着。
街は、白んで、赤と青が混ざった空が覆っている。
朝なのに、夕暮れのような反転した世界がオレの脳みそを刺激し目覚める。
最寄りのコンビニで、おにぎりを2つ、あったかいお茶を買い、鞄につめこむ。
冒険の始まりだ。
まず、神峰山口(かぶさんぐち)というバス停を徒歩で目指すことに。
そこまで、5.7キロあるらしい。
テクテク歩く
まだ、普通の住宅街
6号線を北上。
徐々に田園。
バス停まだかなと歩いていると
バス停に到着する前に、このような看板を発見。
この看板を信じて右折。
すると、またもや看板が
ありがとう。左折します。
すると、RPGのダンジョンの入り口かのような、白い道が現れる。
ここから急に、傾斜がきつくなりかなりの重力を感じる。
水が斜面を流れることがよくわかる。
体の力を抜いて、このまま流されたいと思った。
しかし、そんなことも言ってられないので筋肉の躍動を感じながら歩き進める。
すると、おなじみの山道感漂う景色に。
途中にあった看板曰く、東海自然歩道という整備されたハイキングコースの一部らしい。硬い地面って足の裏への反発が強くて、しんどかった。
この辺から、ポンポン山登山コースの始まりらしい。
ポンポン山山頂までに二つの寺があるらしい。一つは神峯山寺、もう一つは本山寺。
とか情報収集しながら進んでいると神峯山寺に到着。
バイクとかで来る人は、ここの駐車場にとめて登山出発とかできるのではないか?とか勝手に妄想しながら
立ち止まることなく、寺の横の道を登る。
この辺から、気温が下がり、静けさに包まれる。
嗚呼、これこれ〜とか思いながら、気温とは裏腹に重力に抗い稼働する俺の中の筋肉細胞たちが、体の温度を上げていく。
本当に静かだな〜車の音や人間の生活音ってすごいうるさかったんだと素直に感じる。
一方、こういう静かな場所でしか意識しない音もあることに気づく。
心臓の鼓動が聞こえる!!
どっどっどっ。斜面を歩いているのでそりゃいつもより鳴っているのだが、日常に生きている時には意識しない音だ。
冬の乾いた木々たちも、風に揺られて軋む音を鳴らしている。
そこに、鳥の声。水のセセラギ。BPMでいうと115くらいのペースの心臓の鼓動をベースにそれらの音が合わさって、環境音楽になった。
俺は今、生きて歩いているだけなのだが、何かが生まれている。自然に溶け込んでいる。自分の中の、細胞や、神経系、血管、そういったものが脳内のイメージの中に現れ、現実に存在している景色とオーバーラップし、木の枝が生々しい感触を伴い出した。過剰なくらい枝分かれした、神経、毛細血管にその木々たちは変化した。
俺の中でだけでな。
久々の静けさに色々感じすぎました、ということで、黙々と歩きます。
次なる、お寺本山寺まであと少し。
まだ整備された、アスファルトの道です。
でも、山はどんどん深くなり、土の存在感が徐々に強くなっていく。
この時間、歩いている人は、俺一人だった。
今もなお、静かだ。
しかし、突如、その静寂を切り裂くように、ガサガサガサと何かが斜面を駆け上る音が。
鹿さんやん!!
なんかめっちゃこっち見てるし。写真とっていいよ。って言ってますよね?
ポージングしてますよね。撮りました。
ちなみに、このとき左手側にも、もう一頭います。
おはようございます。
あ、本山寺の住職さんが鹿とか?
とりあえず鹿さんに会ったあたりから、地面がふわふわの土に。
適度に、ふわふわで低反発で歩きやすい〜。
ええわ〜。なんかキャラが崩壊してきてますね。すみません。漢気。キャラ。
ポンポン山登山セーブポイント的な、高槻の古木。
確かに一心不乱に歩いて気づくと汗ばんでいた。古木のパワーを分けてくれ。
オラに!
去年の台風にも負けず鎮座してました。
ちなみにその他は所々、なぎ倒されています。
風は時に恐ろしい。
今はそよそよしているのに。
自然の狂気的な反復、増殖を感じながら、ついに山頂へ。。。
んで、おむすび食べました。
この時ジャスト9時。びびったね。ジャストだぜ?
高槻駅から、山頂まで歩いてだいたい3時間でした。
ふうう。と上空を見る。情報量が多かった山とは真逆のすっきりとした世界。
曇天も良いですね。どっちも自然ですね。
脳味噌すっからかんにして、しばらくぼーっとし、反対方面の出灰の方へ下山した。
まあ、そっから色々あり、結局そのまま京都の亀岡駅まで歩いたことはどうでもいいですね。苦行でしたね。台風の影響で、通行止めとかの関係でね。うん。
苦行をね、強いられたんですよ。そのおかげで、途中、地元で作られてるはちみつ買えたりしたんで。なんとなく、気持ちを落ち着かせました。
今回の、総歩行距離。30キロであった。
なんだかんだ、車のありがたさなども感じた、いい冒険だった。
初詣 清荒神
お久しぶりだ。
2019年一発目ということで、初詣に行った記事を書く。
どこに行ったかというと下図参照↓
そう、清荒神だ。
なんでも竈の神が祀られているらしい。(地元の人談)
正月気分を味わいに行っただけなので、こだわりなどはない。
まず、降り立ったのは、清荒神駅だ。
西日に照らされた駅に、感情を少し揺さぶられる。
まあ、ただのローカル駅だ。
この写真を撮る俺の背後には、図書館があり地元の人が通っていた。
そして、俺は前進していく。
寺に続く参道の入り口は、こんな感じで俺を出迎えてくれる。
なんでも、この入り口からおよそ1キロ歩けば、清荒神清澄寺があるらしい。
1月23日という遅めの参拝だったので、出店は少なかった。
途中、土や木に挨拶する。
そして、あたりを見渡しながらウォーキング。
お茶屋さんや、手相占い一回3000円や、佃煮などを売る店、うどん屋、出店、など様々な景色を楽しみながら、連綿と続く歴史の中に自分が存在するんだなと、再認識。
そうこうしているうちに、人間が生み出した形ある歴史的建造物、清荒神清澄寺が現れた。
立派ですね。
入り口付近にある看板曰く、二度焼失したが建て直され、今も続くらしい。
平安時代から、存在するってよ。
清めたり、
正月感、楽しんだり、拝んだりしていると、自然界という大きな循環を感じて生きる。というテーマが俺の頭に浮かんだのであった。
当たり前すぎて、認識するのも忘れてしまうが、植物や、動物、空気、水、宇宙とかに囲まれて人間も存在する。
今日食べた、食物も俺のエネルギーになってまた生きる。
だから、自分は自分だけで成り立ってないんだなーと思いながら参道を帰る。
その途中で、お茶屋で急須を買った。
これで、草の存在を感じながら、俺の生活や体を豊かにしていこう。
暮坂峠
読者諸君はもう気づいているだろう
このブログには
滝
の記事しかないということを。
というわけで滝以外も書いていこうと思う
竜仙の滝に訪れた際に
『大自然の中で朝飯を喰らう』
という目的を実は達成できずにバーミヤンで飯を喰らってしまったことを反省し、
もう一度この任務を敢行する。
そのために選んだのは暮坂峠というドマイナーな場所である。
場所を確認してみる
朝5時に出発
6月とはいえまだ寒い。
そんな中、バイクで風を切る
一時間ほどで現場に到着した。
両サイドに鬱蒼と茂る草木
静けさと肌寒さが伝わってくる。
道の先は未舗装
どうやらバイクはここまでのようだ。
未舗装の道を進んでいくと
分かれ道が
この右側の道を行く
実はこの辺りはもともと小さな鉱山があった場所であり、採掘していた場所まで道が続いているのだ。
捨てられた車
数十年前までは元気に走り回っていたことだろう
今はその面影を見ることはできない
歩みを進めていくと
ごつごつとした岩が目立ち始める
そして再び車
岩がかなり目立ってきた。
木より岩のほうが多くなっている
そしてついに終点が姿を現す
圧倒的存在感
押しつぶされそうなプレッシャーを感じる
映画で使われそうなザ・崖である。
今地震が来たら確実にやられてしまうだろう。
そしてここからの景色は・・・
見ろ、人が〇ミのようだ!!
なんだかんだ良い景色、良い天気である。
さて、やっと朝飯にありつける
青い空と豊かな緑をおかずにおにぎりを喰らう
うまい
しみわたってくる
おなかを満たし心も満たされる
明らかな毒キノコを横目に帰路につく
行きしとは違う道がありそちらから帰る
また車・・・
捨てられすぎじゃないですか?
そしてやっと我が家
珍しく家の前が夕焼けに染まる
ただいま!
大自然の中で朝飯を喰らう
コンプリート
おまけ
採掘セットを持参していったので岩を叩いてみた結果、
石英のかけらを手に入れた。
残念ながら、水晶と呼ぶには程遠い形だ。
一応入れ物を作って、いれてみると、初見では価値のある石のようにも見えるのではないだろうか?・・・
価値とは値段そのものだけでなく自分で採るという点も重要なのだ!!
是非、読者諸君らも、自らの力で採掘にチャレンジしてほしい。
百間滝
今回訪れたのは百間滝という滝である。
この百間滝を見るためには過信は禁物な難所があるそうだ
ということで、新たにG氏に助っ人を依頼した。
では場所の確認だ。
こんな感じ
武庫川を下っていくと左手に武庫川上流浄化センター見えてきて、それを過ぎるとY字路が出てくる
そこを右に進むと珎勒寺という寺が出てくる
そこが入り口だ。
神々しい仏像と水晶玉が我々を出迎えてくれた。
裏手には・・・
一体一体が違う表情をしている。相当なこだわりがあったに違いない
そして、この寺の脇の道を進んでいく
見えにくいがこの橋?が入り口である。ここから沢をひたすら上っていくのだ。
さすがに早いG氏
一つ目の難所
濡れている岩は滑りやすいので慎重に進んでいく
徐々に道のりは険しさを増してゆく
さすがのG氏にも疲れの色が・・・
この時点で我々あせだくである。
ゴールは・・ まだ見えない・・・
と、その時!!
ドン!
ドドン!!
滝の姿が・・・
これが百間滝?
いや、これはまだラスボスではない
この滝を越えなければいけないのだ。
どこから?
滝の脇の岩場をよじ登る
このルートは足を滑らせれば運が良ければ数か所の骨折ですむだろう
最悪は・・・
と、ここで思い出す
今までの人生を。(走馬燈)
ではなく、訪れる前の忠告を。
過信は禁物
そう、過信は禁物なのだ
ここを超えるために首からぶら下げていたカメラをしまう
カメラを守りつつこの滝を超えることはできないとの判断である。
ゆえに写真はない・・・
すまない
先人たちが残してくれたぼろぼろのロープにおのれのいのちを預けながら岩場を越える
すると、すぐに奴は現れた
ズドーン!!
うおお、でかい!!
その落差は約30m
そしてこの距離でも感じるほどの水飛沫が、汗だくの体を冷やしてゆく
神々しいスポットライトを浴びながら隊長おすすめのアシタカせっ記を流す
今までの疲れや、日々のストレスが体から抜けてゆくのを感じる。
大地の力を感じるG氏
アカン、何を撮っても神々しくなってまう
そして神々しさを満喫して百間滝をあとにする
帰り道
もうすぐ夏が
やってくる。